85:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)11:49:15 ID: ID:X3u
落ち着きも取り戻した頃、祖父は口を開いた。
祖父「大体、お前らが俺に何をしてくれたか覚えているようだ。
だから家に社員が来た時も覚えている。
俺は、その社員が家に来た様子で何をしたかも覚えている」
自然と背筋が伸びた。
かつて見た覇気溢れ威厳を持っていた祖父だった。
そんな祖父が最後の最後に。
落ち着きも取り戻した頃、祖父は口を開いた。
祖父「大体、お前らが俺に何をしてくれたか覚えているようだ。
だから家に社員が来た時も覚えている。
俺は、その社員が家に来た様子で何をしたかも覚えている」
自然と背筋が伸びた。
かつて見た覇気溢れ威厳を持っていた祖父だった。
そんな祖父が最後の最後に。
「……ただ、夢だったら、と思っていた」
実に寂しそうな祖父の姿がそこにあった。
そこだけ雨が降っているかのようにどんより沈んでいた。
祖母が「ご苦労をお掛けして申し訳ございません。私もしっかりしてたら」と言うと、
祖父は「誰が辛い苦労している以前に(叔父)が悪いんだ。
それよりもここ最近は良くなったのか?俺はその後が気になる。
俺の前だけ良くしていた訳じゃなければいいだが」
そこに関しては、最初の一年はギクシャクしたが、上手く行っていることを伝えた。
俺も就職したし、家の方は取られることもなく上手く行っている、と。
祖父はニッコリして「そうか、俺はお前らに感謝しかできないなぁ」と言った。
そこで祖父はようやく涙を流し、重く深く頭を下げた。
背後の心拍計の数字が見る見るあがっていたので、祖父の心中は察することができた。
86:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)12:02:41 ID: ID:X3u
俺にとってはこの歳になって初めて見る祖父の姿だったので動揺いていたが、
母親も「そうそう、喧嘩した後とかしょっちゅう1人になりたがった」と言ってた。
家に帰るまで、昔の祖父に戻ったと何度も言い合った。
ただ同時に信じられないでもいた。
ついこないだまで意識もなく寝たままで「もうすぐ迎えが」とも言われていた祖父が、
意識が戻ったどころか、ボケも治り、普通に会話もできるまで戻っていたからだ。
それどころかボケてた最中の出来事をだいたい覚えてもいる。
また会社での出来事も理解した様子だった。
理解できても受け止められない心境だった。
なお祖母は「往生際が悪いから」と何度も言ってた。
今までどれだけ往生際が悪かったらそこまで言われるのだろうか、と今でも笑える。
夕方とは言えまだ日が出ていた。
久しぶりに四人で食事をした。贅沢にも焼き肉だったのを覚えている。
そして楽しくというよりは、映画鑑賞した後みたいに祖父について話を交わした。
ボソっとだったが、俺は「なんか祖父も戻ってきそうだよな」と言ったら、
祖母は「そうなる気がする」と言っていた。
つい最近まで「もうすぐお迎えが」とか言っていた面々が、祖父が戻ってくると思い出していた。
87:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)12:03:10 ID: ID:X3u
90:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)12:31:01 ID: ID:X3u
なんと昨日の夕方、祖父は感謝の言葉を弁護士さんへ伝えていたそうだ。
ちなみに息苦しそうに喋っていたとのことで、心配していたらしい。
それよりもボケはどうなったのか、本当に祖父さんなのか、疑っていたそうだ。
弁護士さんは今日にも会いに行くと言っていた。
その通り、俺らが病院につく頃にはすでに大分老けた弁護士さんが居た。
弁護士さんは冗舌なのはしっているが、すでに祖父と談笑していた。
病室に入るなり看護師さんに「あの人に言って頂ければ」とお願いされるほど、正直騒いでた。
その後、俺らが挨拶をすると、弁護士さんは落ち着きを取り戻した。
弁護士「叔父くんの一件……、全くチカラになれず申し訳ございませんでした。
今まで散々祖父さんの会社と仲良くしてきたのにも関わらず、会社の異変に気がつけず……」
それに対して祖父は、
祖父「またその話か……、お前らは本当に好きだな。
おめぇはうちの残った家族の為に尽力してくれたんだろ。それでいいじゃないか。
家内・娘・息子・孫の為にも、沢山動いてくれたと昨日聞いたぞ。ありがとうな。
それに俺もボケててすまなかったな。じゃ、話はおしまい」
そのままニカニカと笑っていた。
ただ、弁護士さんも涙を流して、祖父の手を何度も上下に振っていた。
同時に「すみませんでした」、そして「ありがとうございます」と何度も謝罪していた。
91:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)12:35:03 ID: ID:X3u
祖父が「今頃気がついたか、まあ今の俺は凄くない。
すごいのはお前らのほうだ。それに偉い。
誰も謝る必要はない。工場の一件は俺と叔父が悪い。
そして俺と家を守ってくれた弁護士さんとお前らには、感謝しかできない。
……ありがとうなぁ」としみじみと言った。
相変わらず弱々しい格好をしていながらも、祖父は力強く構えていた。
ちなみにもう調子を取り戻し始めていて、
祖父「あー、かったい話をしていると、体硬くなるわ。
いや、もう固くなって全然動かねーけどな、アハハハ」とか冗談かましてきて、
その不意打ちに俺はものすごく頭の中真っ白になったのを覚えている。
これ以降、あまり話す事はない。
また日にちも飛ぶような話になるが、許してほしい。
92:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)12:40:50 ID: ID:X3u
おかゆを食べるようになってからは、声が少しだけ大きくなった。
これで完全に元気だったらかなりうるさかった事だろうと今でも思う。
この病室から出ることはありえないでしょう、と言われていた祖父だが
お医者さまも「このまま元気になるようなら病室変える必要があるかもね」と苦笑いしていた。
残念ながら気は元気になったとはいえ、体の方はボロボロ、
24時間体制がしっかりしているこの病室の方がいいと言うことになった。
ちなみにこの時だったと思う。
何日後かは忘れたが、祖父は祖母の顔について謝罪したそうだ。
93:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)12:47:47 ID: ID:X3u
祖母曰く、大分イジメてやったらしい。
家でガッツポーズしながらそういう報告を受けた。
ただ祖母曰く「こんな顔になってどう思いますか?」と聞いた時、
本当に反省しているのか、何何をして悪かったと言う言葉を狙ったそうだが、
祖父は「相変わらずお綺麗な顔だ。俺の家内でいてくれて嬉しい」と答えそうだ
祖母はこれに撃沈。許したらしい。
母も俺も大爆笑したのを覚えている。酷い話かもしれないが。
ただ、祖父はこの日以来、毎日祖母の顔を見るたびに「ごめんなー」と言ってたそうで、
祖母がよく「私が行くたんびに『ごめん』とか言うの!
私の時だけボケちゃってるの!失礼だ!もういいいっているのに!」と怒ってたww
あとは見舞いに行く度に「ありがとう」と、今日の体調について話をしたり、
俺や父の仕事ぶりについて話をしてくるようになった。
94:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:08:38 ID: ID:X3u
コレに対して祖父は、「本当にお前らが辛い時だけ、応援や助けてくれた奴だけ相手しろ」、
そして祖父の前に現れた奴らには、最初は気前よく話を聞いてやって、
その次現れた時には、弁護士さんや俺らから聞いたその人物の行動から判断して、
追い返すか、感謝の言葉を伝えるかどうか、そういう判断をしていたらしい。
まさかつい最近まで散々ボケていた老人が、
そこまで聡明になっていると思っていない親戚たちは結構ボコボコにされた。
祖父に直接会いに来た大半は祖父にボコボコにされていた(論破。
やはり幾ら会社が倒産したとはいえ、まだ祖父から絞り出せる物があるだろうと、
舐めてかかった人もいたが、、
一番ひどい目にあったのは、儲け話として「もう一度会社建てよう」と言った人だった。
その人は、俺も認めるほど本当に気に入らない小母さんだった。
95:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:11:53 ID: ID:X3u
祖父はその気はなくとも話を聞いてやると、まあうまい話しかない。
負の部分の話を全くいっさいしない。ハタから聞いていた俺もうんざりした。
祖父はいろいろ話を聞いた後、「で、偉そうにいうがお前は会社作ったのか?」と尋ねた。
祖父「そんなに借金しても美味しい話なら、お前がマズ会社建ててみろって話だろ?」。
その後、祖父に散々怒鳴られた末に、「二度と、顔を見せるな。末代まで呪うぞ」と脅されていた。
そりゃつい最近まで死にかけてボケ老人だった人が、やけに覇気よくしっかりと怒りながら言うものだから
本当にビビっていたと思う。
その日、廊下で「祖父さん、ボケているんじゃないの?」とストレートに尋ねた上に、
「もうすぐ死ぬ予定じゃなかったの?アレは祖父さんなの?」と祖母に強烈な一撃を加えたがばかりに、
祖母に「アナタと、アナタとの血縁者は、二度と我が家の敷居に入るなァ!!」と物凄い声で怒鳴られていた。
実際、祖父の葬式の日。
家に現れるなり、用意しておいたバケツを意気揚々と祖母は持ち上げ、
バケツ水をBBAぶっ掛けて追い返した。
水をかけられた後に塩を持ってきてぶっかけるものだから、かなり壮絶だったと思う。
ちなみにそこのBBAのお孫さんは来てイキナリ、「お小遣い頂戴」と言って回ったがばかりに、
祖父が三ヶ月の間(正確には二ヶ月?)に選んだ親戚さんたちにこっぴどく叱られてた。
今でもありゃないと思う。今は音信不通でしらない。
96:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:14:45 ID: ID:rFx
97:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:15:07 ID: ID:X3u
98:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:19:29 ID: ID:o30
100:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:24:21 ID: ID:X3u
怖い人だよ……
101:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:25:16 ID: ID:X3u
親戚の足も少なくなり始めた頃。
祖父は装置を持ち運びながらだが、外に車いすで散歩することを許された。
病室も例の病室近くの個室へ移動した(不謹慎な話、ちょうど開いたので)。
流石に退院とまでは行かないが、先生も認めるほどすごい回復力だった。
祖父の来月の誕生日も無事に迎えられるんじゃないかと、言われていた。
病院の庭は、患者さんたちが趣味で使用していい花壇があり、
ゴチャゴチャと、それでいながら一年通して常に何かしら見物がある場所だった。
祖父曰く「まったく統一感がない庭だなwでもそれがいいなww」と。
また大きな桜の木の前に来て「こりゃ、咲き誇ったらすごいだろうな」と常にいっていた。
残念ながら近くの大きな公園までの散歩は許されなかったけど、
祖父にとってはここら辺や、同じ所だけでも、十分に満足だったそうだ。
102:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:35:50 ID: ID:X3u
受験だったから、疲れていたから、などなど。
そんな理由からイライラしていたのも間違いないし、それに関しては俺も謝った。
ただその都度、祖父はイタズラにニヤニヤして「まw俺も悪いんだけどなw」と言ってきて参ったw
あの人分かっていながら責めてくるから、憎たらしいww
ただ本当に元気になっていっていたと、思っていた。
そんなある日だった。
いつものように散歩していると、祖父が「前々から言おうと思っていたんだがー」と言ってきた。
俺は「どうしたの?」と聞くと、祖父は「そこのイスに座ろうか」と。
俺がイスに座り、その横に祖父。そして祖父は空を見上げながら「おめー、会社大変だろ?」と聞いてきた。
俺は息がつまり、頭がカーッと熱くなり、胸が痛くなった。
実際の話、俺の会社は息詰まっていた。
大企業の子会社と聞けば耳障りいいかもしれないが、近年は大企業でも経営困難な所が多い。
その煽りを見事に俺も受けていた。
たぶん「このスレ主、爺ちゃんと居すぎだろww」と思った人いるかもしれないが、
本当にこの時は、祖父と一緒にいれまくるほど暇していた。
105:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:46:53 ID: ID:X3u
元々祖父と父に憧れ技術者に憧れ大学に行ったが、
自分にはセンスがないどころか、大学に行ってから『自分には合わない』と気がつけた。
だからこそ、事務として今の会社に入社した。
当時は大学でも「大企業の子会社だから」とかなり煽てられたものだが、実際は給料も安く、
また技術者と違って賞与も一ヶ月(技術者なら最低3ヶ月もらえる)、冬の賞与はなしな、会社だった。
ただ、そこで開花したというか、俺は営業になっていた。
営業には専門知識や現場の空気や内容を知る必要があったが、
たぶん、祖父の工場や父親の影響もあって、そこら辺を汲み取ることに長けていたんだと思う。
でも会社だって不況の煽りは受ける。
最初に俺の先輩であり敏腕だと誰もが認める先輩が会社を辞めたのを聞いた時、本当に焦った。
そしてその先輩が親会社の社員になったと。
会社の中でも「使える人間を上が引き抜いて、ここは切られる」ともっぱらの噂になった。
次に給料が思っきり減った。25万が13万である。
そもそも給料の計算が『時給』になった。いや、普通に時給なんだけど、基本給がなくなったと言えばいいか。
技術者たちより月々は多くもらっていたが、技術者たちと同じぐらいだ。
賞与は年二回の一ヶ月分に統一されたが、これに技術者たちは不満を覚えた。
気がつけば有能な若い衆は全員引き抜かれていた。
残ったのはまだ声がかかっていないだけだろう若いのと、オジサンばかり。
営業は俺とまだ教育途中の女の子2人だけ。
社長は「首つる訳にはいかねぇ、つりてぇ、つらねぇ」と危なっかしい言葉をトイレで吐いてた。
104:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:40:43 ID: ID:eFK
106:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:47:29 ID: ID:X3u
107:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)13:55:01 ID: ID:X3u
「あとは任せた。そして俺が上にあがったら、この会社を潰させないようにしてやる。
社長にはすべて話した。待っていてくれ。社長を支えてやってくれ。
駄目だったら意地でもお前だけは絶対に掬い上げるから」
祖父は「バカが信じているのか、そんな話」と言っていた。
俺にとってその先輩が社会に出て初めての先輩肌であり、本当に信用している人物だと伝えた。
我が家での出来事を話して、他人の話なのにも関わらず本気で泣いてくれたのもその人だけ。
今も、祖父の一件を伝えた所、会ったこともないのに喜んでいた。
そして口癖のように「待ってろ」とだけ言われているから、待っていると伝えた。
祖父は「お前は、バカバカだな……」とニヤニヤしていた。
祖父は最初に「クビになるまでしがみつけ」と言われた。
次に「己の見通しの悪さをなんとかしろ」と言ってきた。
祖父だったら転職活動は始める、と。
辞める気はなくとも、転職活動はするそうだ。
そして最後「その先輩に合わせろ」と言ってきた。この時の祖父は怖かった。
108:名無しさん@おーぷん : 2016/01/15(金)14:02:23 ID: ID:X3u
先輩が「はじめまして、○○です」と礼をすると、
祖父は「お前か、甘っちょろい事を言っているバカは」と第一声思っきり罵倒した。
先輩は一瞬呆然としたが「あはは、まあそのバカです」とニコッとした。
先輩はすかさず名刺を取り出し、祖父へ差し出した。
祖父は両手を無理して伸ばして名刺を取り、ただそれを悟られないように胸へしまった。
その対応に祖父は気に入ったのか、祖父は「イキナリ威嚇して悪かった」と言った。
先輩はお世辞なのか、なんなのか、迷わず俺が散々祖父のことを心配していた話を述べた。
だが、同時に「祖父さんの事で、結構悩んでいたようですがね」と鋭い一言を挟んだりしていた。
俺からしたら「先輩余計なことを!w」と思ったが、先輩は「いや、言って平気な人だと思ってた」と後教えられた。
先輩は親会社から派遣のように子会社へ送られ、そこで営業をしていると教えられた。
とてもじゃないがウチの会社をどうにかできるような会社ではないと俺は知った。
それは祖父も分かったようで
祖父「本題に入るけどな、お前がこのバカ孫に背負わせた責任で、
このバカ身動きとれなくなっているんだ。それについて、どう責任取るつもりだ」と切り込んだ。