さて、退院は出来ないとなっても、外泊は相変わらず続いていた。 
そして3度目だったか4度目の外泊の時、ついに俺は自杀殳を決意した。 
今まで何度か自杀殳を考えたことはあったが、マジでタヒのうと思ったのはこの時が初めてだった。 
このままだったら一生病院にはいっていなければならないかもしれない。 
そう思うと、タヒんだほうがマシだと思った。 
近くのスーパーで数メートルのロープ(880円だったかな)を買って、ネットで結び方を調べて、ややかたちは悪いものの、なんとかタヒねそうなものが出来上がった。 
後はタヒぬ場所を選ぶだけだった。 
ロープを細工している最中はなんとも無かったが、いざタヒに場所を選ぶとなると、「俺、マジでタヒぬんだな…」と一気に現実味が増してきた。 
よく、今までの人生が走馬灯のように駆け抜けるというが、私の場合、そんなことは無かった。 
タヒへの恐怖で、そんな事を考えている余裕など無かった。


この時、病院に帰らなければいけない時間だったので、母親が「そろそろ病院に帰る支度をしなさい」と言ってきたのだが、俺は「帰らん!」の一点張りで跳ね除けた。 
タヒに場所は簡単に見つからず、そうこうしているうちに日が暮れた。 
しばらくしていると、母親が「今日は延泊(※5)貰ったよ」と言ってきたので、自杀殳は後日に延期になった。 

※5 
外泊を延期すること。 
母親が病院に電話したら、病院側がもう一泊する許可をくれたらしい。 
なんだか意外と緩くてびっくりした。